原子力利用について一覧

  • 2011/12/14

    技術、安全保障、経済の3人の専門家が語る今後のエネルギー戦略
    ~それでも日本は原発を止められない~

     福島第一原子力発電所の事故後、わが国では原子力政策を含むエネルギー政策について、さまざまな評論・解説が繰り広げられてきた。分野の異なる3人の専門家が、その内容を検証して警鐘を鳴らすとともに、わが国が選択すべきエネルギー戦略を明示したのが本書である。

     著者の一人である山名氏は京都大学原子炉研究所教授で核燃料再処理技術が専門。森本氏は拓殖大学海外事情研究所所長で国家安全保障について多くの著書を執筆している。また、中野氏は京都大学工学研究科准教授で経済ナショナリズムについて教鞭をふるう。この3氏が、対談形式で知見や考えをいかんなく披露している。3氏に共通するのは、原子力技術やエネルギー戦略に対する極めて冷静かつ現実的な姿勢である。

     山名氏は原子力技術者の立場から、今回の事故では、約40年前の旧式の技術を使い続けてきたことや、津波に対する分析が甘かったことなど、技術や許認可の面で多くの反省点があることを率直に認めている。しかし、だからといって「失敗したらすべてやめる」という議論は、技術開発の本質を無視した危険なイデオロギーであると主張する。中野氏は、この構図が、第二次世界大戦の敗戦により、悲惨な戦争は二度と起こさないと武装放棄し、自衛隊の軍隊化に反対する状況と酷似していると指摘する。両氏は、「空気」に支配されることなく、冷静に判断することが必要であると訴える。

     一方の中野氏は、反原発の背後には反国家があると指摘する。原発を持つ最大の理由は国家安全保障であり、「国家」を嫌う左翼的な人には受け入れられないものであるとの見立てだ。彼らの推奨する再生可能エネルギーはすべからく分散型エネルギーであり、その根底には国家の否定があると指摘する。エネルギーが国家安全保障の要であるとの認識は極めて重要であるにもかかわらず、いまだ国民に浸透しているとは言い難い。この点について、3氏は、本書の随所で警鐘を鳴らしている。

     国家安全保障の基本要素は、国防、エネルギー、食糧である。なかでも、エネルギーの果たす役割は非常に大きく、森本氏は国防の根幹も結局はエネルギーであると述べている。そのうえで森本氏は、「エネルギー安全保障」といえば、諸外国では、自国でなるべくエネルギーを賄うことを前提とするのに対して、日本の場合は、輸入を前提にしている点が大きく異なると指摘する。再生可能エネルギーこそがエネルギー安全保障に貢献すると主張する向きもあるが、3氏は、現在の再生可能エネルギーの実力では原子力の代替にはならないと喝破する。

     福島第一原発事故を受けて、国民の多くは脱原発、再生可能エネルギー導入の流れを是としている。しかし、それは国家安全保障の根幹を揺るがす可能性が極めて高い。諸外国に比べてわが国では、エネルギー確保の重要性があまり認識されていない。中野氏は、この状況を平和ボケになぞらえて「エネルギーボケ」と呼ぶ。エネルギーなくして国家はありえない。

     本書では、ほかにも、核廃棄物処理の安全性や、民主党政治の問題点など、さまざまな観点から深く掘り下げた論考が加えられている。福島第一原発事故やわが国がとるべきエネルギー戦略について、より広い視野で、より深く考察したい方には必読の書である。

    『それでも日本は原発を止められない』 
    著者:山名元 森本敏 中野剛志(産経新聞出版)
    ISBN978-4-8191-1145-4 1400円+税

    記事全文(PDF)

  • 2011/05/24

    「ON」か「OFF」かの日本のリスク論

     東京電力福島第一原子力発電所からの放射性物質漏洩事故を機に、原子力発電の危険性を理由とした脱原発の考え方が勢いづいている。しかし、実質的な内容を伴った代替案は、いまだに提示されていない。ここでは「リスク」に絞って日頃考えていることを述べる。

     事故直後の枝野幸男官房長官の記者会見は、まさに日本におけるリスクの考え方を鮮明に反映したものであった。記者から『安全ですか』と聞かれ、『安全です』と答える。また、『通常レベルより濃度が高いが、直ちに健康に影響するほどではない』と答える。これでは誰も安心できない。

     原子力に限らず、従来の日本のリスク管理は安全か安全でないか、つまりONかOFFの2者択一という考え方が強い。しかし考えるまでもなく、絶対安全、すなわちリスクゼロはあり得ない。

     われわれは日頃、自動車や飛行機を利用しているが、自動車事故では年間何千人もが死亡している。また、筆者が航空保険の実務に携わっていた1970年代初頭では、ジェット機は統計上30万時間に1機墜ちていた。つまり、こうした乗り物に乗るのは「安全」ではないのである。しかし、人々はこれらを利用している。それはリスクを認識しつつも、それを利用する便益が上回ると考えるからである。