身近な化学物質による水環境汚染


常葉大学 社会環境学部 助教

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 本稿では、水環境や環境化学の分野で近年注目されている、私たちが日常的に消費している身近な化学物質による水環境汚染について紹介します。

 現在の私たちの健康的で衛生的な生活を維持するうえで、人工的に合成された多種の化学物質の使用を欠かすことはできません。私たちの生活に身近な化学物質として、病気の治療や予防に用いられる医薬品の有効成分、化粧品やシャンプー・リンスなどに含まれる防腐剤、歯磨き粉や目薬に含まれる抗菌剤、日焼け止めに含まれる紫外線吸収剤などが挙げられます。この医薬品類や私たちの生活に身近な製品は、PPCPs(Pharmaceuticals and Personal Care Products)と総称されています。これら製品は、私たちの生活で当然のように使用されていることから、有効成分及び含有成分である化学物質を意識しながら使用している人は多くないと思います。

 私たちが使用した化学物質は、使用後全て分解されて無くなってしまうわけではありません。例えば、私たちが服用した医薬品は体内で薬効を果たした後、一部は体内で代謝されて分解されるか化学構造式が変換されますが、一部は全く変換されずにそのまま尿や糞便中に含まれて体外に排泄されます。皮膚等に塗布された塗り薬についても、一部は体内に吸収された後、体外に排泄されるか、または皮膚上に残ったものは、入浴時に洗い流され排水溝へと流れていくと考えられます。

 トイレや浴室等から排出された家庭排水は、一般に下水道を通って他の家庭や事業所等から排出された排水と一括して下水処理場で処理されるか、または各建物に備わっている浄化槽で個別に処理・浄化された後、河川や海域に放流されています。つまり、私たちが使用した化学物質もこの経路をたどると考えられます。下水処理場や浄化槽における排水処理過程では、一般に微生物を利用して有機物を分解・除去された処理水を放流しています。汚れた水を浄化してから放流することで、河川や海域の水質汚濁を防いでいます。しかし、私たちが使用したPPCPsに含まれている個々の化学物質が、この排水処理過程において十分に分解・除去されているかどうかはあまり注目されていませんでした。

 近年、化学分析法の開発や分析装置の高感度化が進み、環境中の極微量な化学物質の測定が可能となってきたことから、環境中の化学物質の汚染実態調査に関する研究が進展しています。その結果、私たちが使用したPPCPsに含まれる一部の化学物質が、排水処理過程で十分に分解・除去されずに放流水中に含まれていることを指摘する研究調査の報告数が増加しています[1-3]。とりわけ注目を集めたのは、抗インフルエンザ薬として使用されている医薬品の有効成分が、インフルエンザ罹患者の増加する時期に、下水処理場の放流水が流入する河川水中から検出されたことです[4-6]。抗インフルエンザ薬の有効成分による水環境汚染によって、直ちに何らかの影響があるとは考えられていませんが、既存の薬剤に対する耐性を獲得した新種のウィルスの発現が懸念されています。

 PPCPsの含有成分は、開発の段階で様々な毒性が評価され、その安全性が精査されていることから、適切に使用している限り、ヒトの健康に直接的に有害な影響を与える可能性は極めて低いと言えます。しかし、生体に対して何らかの生理活性を有する化学物質を、非意図的に体内に取り込むことに起因するリスクを評価する必要はあります。私たちの生活に欠かすことのできない水道水は、河川や湖沼、地下水を原水としており、これがPPCPs含有成分で汚染された場合、水道水を介して体内に取り込む可能性があることから、水道水及び水道原水中のPPCPs含有成分の存在実態が調査されています。その結果、数種の医薬品有効成分が検出されたことが報告されていますが[7,8]、その濃度は極微量であったことから、ヒトに対する健康リスクは極めて低いと考えられています[9]。しかし、水道水及び水道原水中のPPCPs含有成分の存在実態に関する情報は十分と言えず、環境水中の濃度や排水処理過程における挙動について、今後も継続した調査が必要です。

 PPCPs含有成分による水環境汚染については、ヒトへの健康影響だけでなく生態系に対するリスクも評価する必要があります。近年では、下水処理水放流域に生息する魚類の体内中から、多種の医薬品有効成分が検出されたことが報告されています[10,11]。上述したように、PPCPs含有成分のヒトに対する影響は精査されていますが、魚類や水生昆虫、藻類といった水圏に生息する生物に対する影響については、ほとんど明らかにされていません。従って、PPCPs含有成分が生態系に対してどのような影響を与えるかといった議論を進める為には、生態毒性評価に関する知見の蓄積が待たれます。

 PPCPsの中でも医薬品類の有効成分は、病気の治療や予防に不可欠な、とりわけ利便性の高い化学物質であることから、それらの使用を直ちに中止することは現実的ではありません。しかし、医薬品類の使用による水環境汚染が起因となり、将来的に健康被害が現れることや、生態系に対して不可逆的な影響を与えてしまうことは避けたいことです。従って、これまでの化学物質による環境汚染問題以上に、高度なリスク評価が必要と言えます。そのために、私たちが日常的に使用している化学物質による水環境汚染や、水生生物に対するリスク評価の高度化に寄与する調査及び研究のさらなる進展が望まれます。

<引用文献>

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Kolpin D. W. et al., Environ. Sci. Technol., 36(6), pp 1202-1211 (2002).
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Okuda T. et al., Water Sci. Thecnol., 57(1), pp 65-71 (2008).
[3]
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[4]
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Ghosh G.C. et al., Environ. Health Perspect., 118, pp 103-107 (2010).
[6]
Azuma T. et al., Environ. Sci. Technol., 46(23), pp 12873-12881 (2012).
[7]
Benotti J.M. et al., Environ. Sci. Technol., 43(3), pp 597-603 (2009).
[8]
Kuroda K., et al., Environ. Sci. Technol., 46(3), pp 1455-1464 (2012).
[9]
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[10]
Subedi B. et al., Environ. Sci. Technol., 46(16), pp 9047-9054 (2012).
[11]
Foltz J. et al., Chemosphere, in press.

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